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aoi’s blog

双極性障害II型の近況メモになりつつある

4/24

薬飲むとふわふわします。

 

もう4月の最終週だということを知らなかった。

ゴールデンウィークの予定について、なんにも考えてなかった。

先の予定を立てられるということは、精神的にも、体力的にも、余裕があるということだと思う。

つまり、今のわたしにはちょっと難しい。

4月が始まったころは、わくわくしていたのになあ。

1日が終わるのが怖い。

 

いつの間にか外の陽射しが強く高くなっていた。きらきらしている。

こういうのを 気持ちの良い天気 というのだろうが、何故かいまはつらい。

気持ちが足りない。

強い陽射しに消されそう。

 

朝はとても辛かったが、お昼前には起き上がることができた。

着替えられた。

化粧ができた。

自転車で買い物に行けた。

 

食欲がない。なんというか、食べ物に対して関心が湧かなくなってきている。これは少し前からそうだった気もする。食べないと具合が悪くなるから食べなければいけないのだけれど、できるなら食べたくない。ゼリーなら食べられるかな、、、。料理ももちろんしたくないし。(ここまで食べ物に興味なくなったのは初めてかもしれない)

 

買い物から帰ったら、とても怠くて眠たくなった。横になって、すこし楽になったけれど、そのあと一時間ほど寝た。

 

お腹は空いた。ごはんは食べた。美味しくない。ごはん食べないと胃が痛くなっていく。

 

おやすみなさい。

幻覚?

目が覚めた時に 部屋に誰かが入ってくる気配がリアルに感じられて 身体を起こそうとするんだけど重くって難しくてやっと起きたら何も起きてなかったってのがここ最近よくある

今日のが特に怖かった

扉を開けて2人くらい入ってきたと本当に思った

 

昨日夜 焦燥感とイライラと不安が止まらなくなって処方されてる寝る前の薬+抗不安薬2倍量+鎮痛薬4錠を一度に飲んでしまった

 

ペティナイフとカッターナイフは切れない

リストカットアームカットは構ってちゃんみたいだからいい加減やめたいもの 全然血も出ないし

むかし切った後に 小さく玉みたいに血が滲むのを見てはほっとしていた これだけでもしばらく薄くミミズ腫れみたいな跡は残ってた

 

まだぼーっとしててだるい

 

今日は学校に行きたかったけれど この状態だととてもつらそうなので諦める

料理を作る元気がないので 食べ物を買いに行くことを目標にしよう

水曜日までに学校に行く

木曜日病院だし

いのちの価値

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「福島智×柳澤桂子」 - NHK 障害者を取り巻く問題を当事者として研究する東大教授の福島智。難病と闘い、思索と執筆を続ける生命科学者の柳澤桂子。自らの体験を交え「生きるとは何か」を語り合う。 http://www4.nhk.or.jp/switch-int/x/2017-04-22/31/23494/2037146/

 

自分で死ぬことは生きたくても生きられなかった人への冒瀆だ。

 

意味=苦悩+希望

 

みんな宇宙人

理解されないことは本当につらいことだ

どんな人でも生きていける世界ってなんなんかなあ

食欲

抗うつ薬飲む前
とにかく胃が痛い 吐き気 お腹は空く(違和感と同時)
でも食べられる 食べたくもなる

飲んだ後
胃が痛いのが収まる 吐き気なくなる 違和感はまだ少し
お腹があまり空かない 食べるために何かするやる気がまだでない 食べる気がおきない

これまでの

ようやく落ち着いてきたので

わたくし、物心ついたころからメンタルに自信がなく、十歳の時にある難病(ネフローゼ症候群)を発症し、そのころから毎晩死ぬことについて考えるようになり、中学生になるとステロイド薬の副作用と病気への不安と思春期のおかしな精神状態のおかげで綱渡り状態で毎晩過ごしてまいりました。

高校に入ったら治ると勝手に思っていたけれど治らず、体の調子までおかしくなり、限界を感じてスクールカウンセラーに今までの経過を話したところ、病院へ行くよう言われ、うつ状態と診断されて抗うつ薬睡眠薬を飲みはじめました。

しかしそんなにすぐ良くならない。死にたくて死にたくて、でも何にもしたくなくてという状態が続く。
本人的には生きるか死ぬかという精神状態でしたが、周りは「どうして学校に行けないの?」という感じ。ここでわたしが毎晩考えてた「死にたい」ということは、普通の人ならありえなかったということに気づきます。それまでみんな希死念慮あるもんだと思ってた。そりゃあ生きるの楽なはずだ…。

このタイミングで持病のネフローゼ症候群が再発、そして入院、退院してまた入院、腎生検。(入院したことで学校に行けないことが正当化された気もしていて少し楽でした。)

そして、子供は知らなかったことに、私が死にたかった間に、母親も更年期鬱に…。
相続問題やら仕事のことやらいろいろあったようなのですが、わたしもきっと原因の一つなんだろうなと思っています。

腎生検(腎臓の組織をかすめとる、大事な検査)はもう3回目で、いつも母親が結果を聞きにきてくれていました。
でもその日は父親が。そしてなんだか先生の説明も早め。なぜでしょう。
その後、家の用事があるからと外泊…。なんだろうと思いつつ帰宅。
すると玄関にはお葬式の案内がありました。

そこで母親が自殺したことを知らされました。
今でもはっきり覚えていますし、これからも忘れないと思います。
人はわりと簡単に死んでしまうし、いつ死ぬかもわからないし、うつ病って本当に死ぬ病気です。。覚えといてください。

その後の私は悲しかったぶんなのか、急に跳ね上がりました。
学校にも戻ったし(そのあとすぐ通信課程へ転学したけど)感情がえらく豊かになりました。
でも、治ったわけではなくて、しばらくするとまた動けなくなりました。いまから思い返すと、躁状態だったのかなあと。
心療内科の薬もカウンセリングも効かないし、てか現に母親死んじゃったし、効くんかいなという思いであります。

高校3年の時に、大学進学しないとこれからの人生真っ暗だ、何もしないままここで死ぬのは嫌だと思って、予備校に通わせてもらうことに。
正直、人が怖くてしょうがなかったんですが、友達もできました。むしろ、通信制高校より、考えが近い人がたくさんいるような場所だったので通うことがそこまで苦ではなかったし、勉強ができるように回復していくのが嬉しかったです。
ふとしたときに感覚が戻ってきました。いままですべてに靄がかかっているようで、動くことも体が重たくて、色んなことが怖くて仕方ありませんでした。それが無くなったのです。小学生ぶりでした。

無事大学も入って(ぎりぎり)ときどき不安定になることはありましたが、なんとかやっていきました。
4年生の時にどうもこれはあかんと思って、再び心療内科に。そこで双極性障害の疑いとの診断をもらいました。
納得しました。高校の頃の経過の理由がわかる…。
気分の浮き沈みがえらいことになっていたこともありましたが、その後低空飛行が続きました。

通っていたところは看護師さんが仕事中に誰かと普通に電話するし、待合室はテレビつけっぱなしだし(音がつらいのです)、予約をめちゃくちゃ先まで取らされる(これは薬漬けにして治さない気なのかとさえ思います)ところで、先生は悪い人じゃなさそうだけど、診察室はものすごく散らかっているし、受付のお姉ちゃんくらいしかいいところなくて、いつのまにか薬も切らしてしまいました。
睡眠薬は飲まないほうが頭はっきりするし、、、

そして約3か月…躁転してたかも知れない
新しくバイトするとか、あちこち行きたいとか、、あれもこれもしたいとか、、、

急に死にたくなりました。(4/3)
夕飯のカレーを手に、これが最後のごはんでいいやって思いました。
テレビを見てたら、内容が死ぬほどどうでもいいことに思えてきました。

出来事がきっかけで死にたい
というよりは
死にたいから死ぬ方法をいろいろと考える
という感じです

すごく不安になってきました。死ぬことを考えているけど、自殺したくないのです。死にたいけど、簡単に死ねることも知っているけど、本当は死にたくないのです。でも頭の中は死ぬ方法を考えることでいっぱいです。たくさん泣いていました。死にたいのに死なない自分に腹が立つし、本当に死んでしまうのも怖くて泣きました。

それまでは朝になるともとに戻っていましたが、この時はもとに戻れませんでした。

次の日も同じような状態で、ギターのシールドを首に巻いて、カッターナイフを手に持って、手首をひっかく(切れないカッターだった)ところまで行ったので、泣いて実家に電話して帰りました。


そのあとは再び一人暮らしに戻り、新しい心療内科に行き、お薬をもらって(やっぱり一人が不安だったので)実家に帰ったところです。
薬を飲んだらものすごく寝ました。早く学校に戻りたいのですが、また悪化するのが怖いところです。あと実家に戻って順調に太ってます。

精神科領域って、本当に病気かわからないところが多いですが、希死念慮がでて、こんなに困ったのだから病気ってことでいいでしょうか。

考えだすと不安だらけです。

早くも
躁転の予感

眠れなくなってきた
イライラする

肌がまとわりついてる感じがして気持ち悪い

いま気づいたんだけどわたしの部屋4階
飛び降りることを考えたことなかったな